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麦酒を愛した近代日本の人々 〜ビール文化創世記〜


ビール先進国ドイツに魅了された 日本近代文学史上稀なる文豪・森鴎外
鴎外(もり おうがい、1862-1922/島根県出身)
軍医鴎外、ドイツで「麦酒」と出会う
軍医でありながら、小説家として数々の傑作を生み出した森鴎外は、1862(文久2)年、石見国津和野(現・島根県)に誕生した。父は津和野藩主の典医であったが、明治維新を機に上京し、千住で診療所を開設。賢く、向学心旺盛な少年だった鴎外は父に倣って医学を志し、また蘭学を教わった。医学習得のために必要なドイツ語も、すでに10歳の頃から学び始めたという。そして順調に東京帝国大学医学部へと進学し、卒業後は陸軍病院に就職するが、かねてからドイツへ留学することを熱望していた鴎外は1884(明治17)年、衛生学研究を命ぜられ、海を渡ったのであった。
鴎外は、その後4年間ドイツに滞在することになるが、そこでの思い出はビールとともにあったといっても過言ではないだろう。ドイツでの生活を綴った『独逸日記』を見ると、「麦酒を喫す」という記述が幾度もあらわれ、その内容からは、留学先でのとても楽しげな将来の文豪の姿が想像されるのである。
欧米のビール文化をじかに体感した留学時代
渡欧した当初の鴎外はまず、ドイツ人が飲むビール量の多さに驚かされたようだ。
ドイツ留学時代の森鴎外肖像
ドイツ留学時代の森鴎外肖像
諸生輩麦酒を喫す。其量驚く可し。独逸の麦酒杯は殆ど半「リテイル」を容る。而して二十五杯を傾る者は稀なりと為さず。乃ち十二「リイトル」半なり。余は僅に三杯を喫することを得。是を極量と為す。蓋し諸生輩の嘲笑を免かる可らざる者あり。
(植田俊郎著『森鴎外の独逸日記』より、原文ママ)


昼夜問わずビールを飲むドイツの人々。そんな彼らとビールを飲んだところ、「1リットルの半分も入るようなジョッキで、一度に25杯も飲んでしまうようなドイツ人に比べ、自分は3杯で限界だ」と舌を巻いたのである。明治時代が明けてまもない当時、日本ではまだビール文化が庶民にまで浸透しておらず、アルコールといえば日本酒が主。猪口や杯に慣れ親しんだ日本人の鴎外にとって、なみなみとビールの注がれたジョッキを何杯もあおるドイツ人の姿は、目を見張るものだったにちがいない。
しかし、ドイツ人の友達が増えるにつれ、鴎外はビールと、ビールを媒介とした仲間の輪を楽しむようになる。社交的な彼であったから、ことあるごとに一堂に会し、ビールを飲みながら一喜一憂する異国の習慣に魅力を感じたのだろう。やがて自ら友を誘ってビアホールなどに足を運ぶようになったようだ。それは後に、当時の駐独大使であった品川弥二郎から「ビールを飲み過ぎる」と叱られたほどであったという。他人の目にあまるほどビアホール通いが頻繁だったのだろう。さらに彼は、ただ日常的にビールを飲んでいただけではなく、日頃はお目にかかれない有名な銘柄のビールをわざわざ遠くの町にまで飲みに行くなど、ビールという飲み物に対してかなりの関心を示している。この時代、欧米に留学していた日本人学生の多くがビールを好んだのであるが、鴎外ほどビールに親しんだ人物もいないのではないだろうか。
異国で得た糧と祖国での成功
鴎外はまた、ドイツ留学中に「ビールの利尿作用について」というドイツ語の論文を書いている。ミュンヘン大学衛生学研究所で教授に勧められて取り組んだもので、被験者の6人に、1日に10回、ほかに何も飲食せずビール、水、ホップ煮汁、アルコール溶液を摂取してもらうという実験を行った。結果、アルコールに利尿作用があることが判明。ドイツの学会に発表したところ、大いに喝采をあびたという記録が残っている。
(※現在では、アルコールのほか、ビールに含まれるカリウムにも利尿作用があるといわれています。また、『汎用生薬便覧』〈2000(平成12)年刊〉には、ホップの薬効の一つに利尿があげられています。)
1888(明治21)年、4年間にわたる充実したドイツ留学は終わりを迎えた。帰国後、彼は軍医学校の教官となり日清・日露の大戦にも赴くかたわら、文壇でも第一線で活躍。浪漫主義を唱え、翻訳、評論、小説などを幅広く手がけた。
文豪・鴎外が残した作品には、ドイツを舞台にしたものが多い。『舞姫』ではドイツ人女性との恋愛劇が、『文づかひ』では上流階級とも交流したドレスデンでの日々が、『うたかたの記』では勉学に勤しんだミュンヘンを舞台とした話が描かれている。それらの小説世界には、ドイツでの経験と思い出がちりばめられているのだ。
鴎外はドイツ滞在中に多くの友人をつくっているが、その中にウィルヘルム・ロートという人物がいる。ロートは鴎外が軍医学の知遇を受けた恩人であり、ドイツ滞在中の鴎外24歳の誕生日、彼にビールジョッキを贈呈した。鴎外は日本へ帰国したのちも、このジョッキを愛用したという。
生涯ビールを愛飲し続けた鴎外。筆が止まったときなどは、ロートのジョッキを傾けながら、しばしばドイツの思い出に浸ったのではないだろうか。
ザクセン軍医監ウィルヘルム・ロートからもらった愛用のビールジョッキ。
ザクセン軍医監ウィルヘルム・ロートからもらった愛用のビールジョッキ。胴体に「この杯にてブドウと大麦の汁をくむものに幸あれ」と刻まれている。(鴎外記念本郷図書館蔵)


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